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2008年7月 7日 (月曜日)

◆しあわせ再考!

Dvc00077  「彼氏はIT関連企業に勤めていて、年収1000万円以上。結婚したら子供は二人は欲しいわね~。マイホームも欲しい。広い庭には小次郎のような雑種じゃなくて、血統書付きのマルチーズを飼うの・・・」と中学生の娘が将来の夢を語る。幼稚園の頃に、「大きくなったらおじゃ魔女ドレミになるんだ!」と言っていた頃が懐かしい。中学生にもなると変にリアリティーが感じられて末恐ろしくなる。

 ところで、人はそれぞれに素晴らしい楽しいと思われることを思い描く。そのことは、当然、人によって千差万別である。だけど、素晴らしい楽しいことを求めるということは、そのことによって幸福を求めていることに他ならないわけで、すべての人は幸福になることを必ず求めている。だから、すべての人に同じ共通している「生の目標」でもある。

 だが、おそらく誰も「人はこうすれば幸せになれるのだ」と端的、普遍的な形では答えられないだろう。なぜなら、それは、人それぞれが具体的に人生を歩む中で見つけていくものだからという理由によっている。

 しかし、それでもなお「幸福」について考えようとするのはどうしてなのか?それは、「幸福」が人間共通の生の目標であり、「幸福」になるための良い手がかりを僅かでも得たいと思うからである。

 では、すべての人が必ず求めるところのその「幸福」とはいったい何だろう?どうすればそれは手に入れられるのだろう?

 それは、欲しいものを手に入れる、ということだろうか?相田みつをの言葉に「金がすべてではないがあれば便利、無いと不便です。便利のほうがいいなあ」というのがあるが、お金、健康、社会的地位、権力、恋人、若さ・・・・なるほど、自分が欲しいと思っているところのこれらを手に入れることによって人は幸せになることができる。

 しかし、これら外的条件によって満たされる幸福はあくまでも一時的なものである。

 お金にしても、健康や若さにしても永遠に存在し続けるものではない。だから、それを失う不安に常に苛まれながら生きていくことになる。また、外的条件が幸せの主軸になるならば、必ずだれそれの方が・・・といった比較価値で世界を見るようになり、どこまで行っても心は満たされない。だから、これら外的条件は人を幸せにするが、絶対条件にはなりえない。

Dvc00229  それじゃ、「幸福」とはやっぱり心によるものだ、ということになるのだろうか?

 ホメロスは、「人間は幸福よりも不幸の方が2倍も多い」といったが、確かに人は不幸な状況に度々遭遇する。人間には不幸なことはつきものである。そのような経験は2倍どころじゃないよ!とさえ感じてしまう。そんなとき、不幸を不幸と思わないですむような前向きな考え方で対処すればよい。つまり、何事も心の持ち方しだいなのだと考えることもできる。確かに、これも不幸を乗り切るための賢明な知恵かもしれない。でも、心の持ち方ひとつで不幸を乗り切ることはかなり難しいでしょう。人がそこまでオプチミズムな存在だとは思えません。少なくとも私にはできそうにもない・・・。

 しかし、ルソーの考え方は少し違っていました。彼は、「我々の欲望と、我々の能力との不均衡にこそ、我々の不幸は存在する」と言っています。例えば、目標とする大学に合格したいのに、その能力がないときや、事故で移動能力を失いトイレに行くことも儘ならないときなど、人は不幸な思いを抱く。つまり、不幸は、「私」が「あるべき私」「あり得べき私」でありえない、という痛切さの場所にやってくるのです。

 では、「あるべき私」と現実とのギャップにどう対応してゆけば良いのでしょうか?

 『ルソーの公式からは、不幸を回避するための条件は二つあります。 ひとつは、欲望を実現するための能力あるいは手段を高めること。・・・もうひとつは、欲望の対象の問題。例えば、子供がむしょうに何かを欲しくなり、しかしそれを手に入れることができないとき、その子は不幸を感じます。しかし、もし手に入れたものが変更されるなら彼は不幸ではなくなる。・・・中略・・・人は新しい欲望の対象が現れるまでは、それまでの自分の欲望に固執します。そして、そのことで不幸になるのです。

 また、私たちは回避できる不幸と回避できない不幸があることを知ることができます。このことはとても重要です。愛する肉親や友人などの死は人を必ず悲しませ、不幸にします。その人が自分の生きる大きな理由になっていた時、その不幸は考え方によっては消去できません。自分の心をなだめる時間を耐える以外にないのです。

 しかし、例えば私が、実現の見込みのない、つまり、不毛な欲望を持ち続けている場合、私は自分で自分を不幸に陥れています。だから、私は、自分の能力をスキルアップできる時は、黙々とそうすべきなのです。この条件が高められる可能性があれば、遠謀深慮してでもその時間を惜しむ理由がある。しかし、可能性がないときには、私の欲望は私にふさわしくないばかりでなく、私を苦しめ続ける原因になっていることに気付かなくてはなりません。』引用:竹田青嗣「愚か者の哲学」

 なるほど、このような心のありようで不幸に立ち向かえば、何とか乗り越えられそうな気もする。しかし、「あるべき私」がどうあれば人は幸福になれるのかよくわからないので、結局は「幸福とは何なのか?」と悩むことになる。

 でも、「自分さえ幸福であればよい」といった考えで、「あるべき私」を描き、幸福を追い求め続ける人間は、結局どこまで行ってもそれを手に入れることはできない。果てしない欲望のゲームの虜となって、絶えず「むなしさ」や「満たされなさ」を抱え、幸福のパラドクスの罠に陥ることになる。V.E.フランクルは「幸福の追求は、幸福を妨げる。もし、幸福になる理由が存在すれば、自ずと、つまり自然発生的かつ自動的に幸福は結果として生まれてくる。このことが、人間が幸福を追求する必要のないことの理由である」といった。自分にとっての幸福がなんであるのか分からない。しかし、今は分からなくても人生が自分に何を求めているのか?誰かのために自分は何ができるのか?そう考え生きていく中で、結果として幸福の存在に気付く。幸福とはそういうものなのかもしれない・・・。

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