なんのために働くのか?
先日、小学4年生の娘が突拍子もなく「大人は何で働くの?」と尋ねてきた。面白い質問だなぁ~と思い、友人や職場の同僚に同じ質問を投げかけてみたのだが・・・皆さん「なんだろう?」と首を傾げるばかり・・・。しかたがないので、自分なりに考えてみた。
「人はなんのために働くのか?」・・・そう聞かれると、多くの人が「そんなこと分かりきってるじゃないか、働かなくちゃ生きていけないからだよ」と答える。
つまり、生きていくためには食べなくちゃいけないし、住む所だって確保しなくちゃいけない。そのためには、当然お金が必要になる。だから、稼ぐために人は働かなくちゃいけないという訳だ。
たしかに、生活の糧を得るというのは働く理由のひとつですよね。しかし、これだけ物資の豊かな社会において「働く理由=お金のため」というのは、あまりに不十分な根拠のように思える。
仮に働くことの意味が、生活の糧を得るためだけであるならば、一生遊んで暮らせるだけのお金を手に入れた人々は、とっとと仕事なんて辞めてしまうはずだ。ところが、そんな状況に置かれた人たちも、やっぱり何らかの働く意味を見つけて働き続けようとする。むしろ、そんな人たちほど仕事に精力的であったりもする。
アイシェアが20~40代の勤務者430名(男性50.5%、女性49.5%)に「もしも宝くじで3億円当たったら、仕事を辞めますか?」というアンケート調査を行ったところ、63.2%が「今の仕事を続ける」、9.8%が「仕事を辞めて起業する」と回答していた。驚くことに、73%の人が何らかの形で仕事に従事し続けようという堅実な姿勢を示している。http://release.center.jp/2008/12/0902.html
この結果を見ても、お金は大事・・・・だけど、そのためだけに働いているんじゃないよなぁ・・・って思ってしまう。
それじゃ、生活の糧を得ること以外の働く理由とはなんだろう?そう問われると、働きがいややりがいが働く理由のひとつとして浮上してくる。
「何のために働くのか?」その答えは、時代状況によって違ってくる。物資の乏しい時代、人々の関心は圧倒的にお金にあった。とにかく食べていくだけで精一杯。働きがいなんて二の次であった。しかし、状況が変化し、豊かな社会に移行するにつれて、お金の地位が下がり、相対的に「働きがい」が、働く理由として重要な意味を占めるようになっている。
だから、やりがいのある仕事に就くために、自分の好きなことや自分に合った仕事を探し求めようとする。そうではない人たちも、例えば「皆がそうしているから自分も・・・」とか「とりあえず生きていくためには・・・」って感じで働いている場合でも、仕事を覚え、フロー体験を重ねていくうちに、仕事は仕事固有の論理を持つようになり、ただ生活のためと言うだけではなく、そこにはやりがいとか、働きがいとか、あるいは「これ」をとったら何も残らない、というように損得勘定を忘れて仕事にのめりこむようになる。そうなると、「働く理由=やりがい、働きがい」ということになるのだろう。
しかし、すべての人が働きがややりがいを持って働いているわけではない。私自身、働き始めた頃を思い返してみると「働きがい」よりも何よりも、まずは自分の存在を認めてほしいという一心でやってきたように思う。
先日、建設会社に勤めていた知人がリストラにあった。それまでバリバリと仕事をこなしてきていたにもかかわらず、肩叩きされたのを契機にすっかり仕事への意欲を失ってしまったと語っていた。
また、退職間近であった介護職のAさんは、「仕事は私たちがやりますから、Aさんはゆっくりしておいてください」という後輩達の言葉に「もう自分は必要とされていないのか・・・」と思った瞬間、自分が社会からドロップアウトしたようで、居た堪れない気持ちになったと話していた。
私たちが、いちばんつらいのは誰からも顧みられていないという思いではないでしょうか?Aさんの「社会からドロップアウトしたような思い」という言葉にもあるように、誰からも顧みられなければ社会の中に存在していないのと同じことになってしまう。
人間は、自分で自分を意味づけできない存在です。自分という存在の根拠は、具体的な他者との関係の中で見出していくものです。だから、他者と関わり、時に褒められたり、感謝されたりしながら、何らかの形で他者からの承認を得る。そうすることで、はじめて社会の中で自分の存在意義を確認できるようになる。そして、それを実現する最も手っ取り早い方法が「働くこと」なのだと思います。
ですから、人が働くという行為の根底にあるものは、社会の中で「自分の存在を認められること」という思いであり、そのような関係性を求めて私たちは働き続けるのだと思います。働きがいややりがいも働く理由のひとつですが、それらは、このような関係性の上に構築されていくものなのかもしれませんね。
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コメント
御無沙汰しておりました。
「人は何の為に働くか?」
深いですね。
でも,可愛い娘さんや奥さん。そして大事な金魚さんが
喜んで生き生きしてる顔が見たいからだよ。
・・・で十分な理由になると思いました。
若い時に考え過ぎて,鬱になりかかった経験があります。バカですよね~?(笑)
私みたいなアホウには単純が1番の様です(^_^ゞ)。
簡単にまとめられない世の中ですけどね・・・
投稿: 銀太郎R | 2009年6月 7日 (日曜日) 22時48分
何のために働くのか
・・・。まんぼーも自分という存在の確認とそこから得られる小さな幸せのため
だとおもいます
勿論
生きていく為にはお金がいるわけですからきれいごとだけではないけれど
いろんなこと考えることできました。じゅん吉ジュニアにありがとう
投稿: まんぼー | 2009年6月 8日 (月曜日) 21時10分
ぬぉっ!!
久しぶりに来てみたら
また底なし沼的な問題を提起していますね(笑)。
ものすご~く端折って申し上げれば、
私もじゅん吉さんの見解と殆ど同じ。
私がこの問題を突き詰めると
やはりハイデガー先生に行き着くのですが
何のために働くか?って問いへの答えは
「自分が存在しているから」
ってところですかね。
存在を存在たらしめるには
他者による「認知」が前提になる。
(もちろん異論もありますが)
他者の認知をもって「自分が存在している」
ことを自己が「認知」できる。
それ故に、すべての「存在物」は
先天的に他者による認知の欲求を内包している。
そう考えると、
自分が認められたいという「本能」に従うには
働くという行為が都合が良いのでしょうね。
「お金の為に働く」「食べるために働く」
っていうのも、まったく同じテーゼに行き着く訳で
すべて正解だと思います。
投稿: mocyakuriko | 2009年6月12日 (金曜日) 15時58分
>銀太郎Rさん

「あんたの話はくどくて訳が分からない!」と、家のカミサンによく怒られます・・・
こればっかりは、癖というか・・・もう、ほとんど病気のようなものですね
投稿: じゅん吉 | 2009年6月12日 (金曜日) 21時08分
>まんぼーさん
子どもの質問に悩んでいた時に、まんぼーさんと「あーでもない、こーでもない」と議論した御陰で、自分なりに納得いく答えを整理することができました。
ありがとうございました。
今度は、酒泉の杜で酒でも酌み交わしながら議論したいものですね。
投稿: じゅん吉 | 2009年6月12日 (金曜日) 21時19分
>mocyakurikoさん
」とさせるものがありますよね。
深遠なコメントありがとうございます。こういったコメントを頂くとチョッピリ「書きがい」を感じて嬉しくなります。
子どもの質問って、ときどき大人の気持ちを「ドキッ
自分達も成長する過程で同じような疑問を持っていたのかもしれませんが、いつの間にか大人になって、なんとなく分かったつもりになっている自分に気付かされることがあります。
子どもの質問にときに真剣に耳を傾けて、チョッピリ真剣に考えてみると、意外な発見があったりするので面白いですよ。
投稿: じゅん吉 | 2009年6月12日 (金曜日) 21時34分